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和気信一郎の気功流癒しのテクニック~癒しの気功法~
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http://chuplus.jp/blog/list.php?category_id=218&pl=8099508979
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樹木のパワーを採り入れる(パワースポットの気をいただく~その3~)2012/10/29
今回は、樹木のパワーを採り入れる技をお伝えします。
【無相という言葉】
突然ですが、採気のヒントになる話を一つ。
般若心経という経典(お経)の一節に「諸法空相(しょほうくうそう)」という経文が出て来ます。
この言葉が、採気の時の大事なヒントになるのです。
「法」というのは「存在」という意味だそうで、「諸法」は、諸々の存在、即ち、この世に存在するあらゆるもの、のことです。
「空相」というのは、サンスクリット語を訳すと「空にして無相」となるそうで、「空、無相」が本当のようです。
(孫悟空でお馴染みの三蔵法師、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がどういう意図で「空相」と漢字に翻訳したかは定かではありません。)
ですから、「諸法」は「空」であり「無相」ということで、「空」と「無相」とは同義語になるのです。
そして、問題の「無相」の話です。
【心のバリアを無しにする】
「相」という字を見て下さい。
木へんに目と書かれています。
これは、「目で木を見る」という意味です。
「目」は、自分という存在を代表している言葉で、「自分という存在が木を見ている」となります。
こちらに自分がいて、向こうに木があり、その木を見ているということになり、即ち、それは、自分と木は別々の存在だということを意味しているのです。
相は、相互、相思相愛、相手、相打ち、相対立するなどというように、別々の二つの存在を前提にした言葉なのです。
ところが、般若心経においては、「諸々の存在は無相である」と説いています。
気功と般若心経とは直接的な関係はありませんが、気功を学び深める上で、特に、採気野技を理解する上では大きなヒントになっています。
般若心経は、木と自分とは「無相である」、即ち、「別々の存在ではない」と教えています。
別々の存在であるものが「別々の存在ではない」というのですから、難しい話です。
木と自分とが別々の存在だということは、木と自分との間に、二つを隔てる何か、即ち、バリアが存在しているということになります。
「無相」なのですから、二つの間にあるバリアを取り除かねばなりません。
こうなると、現実的というか物理的というか、普通の常識では考えられません。
そこで、気という概念や気功をしている人の体感を持ち出さねばなりませんが、この、バリアを取り除くというのが、自分と外のものとの関係においての気功流癒しの本質になるのです。
物質的にはともかく、少なくとも心だけは、木と自分との間にバリアを張らないということが大事な条件になるのです。
(※9月3日の記事「気功流の癒しを体感してみましょう」を参考にして下さい。
【樹木のパワーを採り入れる】
(1)
公園や神社の境内などで、これは!という木を見つけたら、とにかく、その前に立ちましょう。
(2)
両手を体の横で、軽く斜め下に開き、掌を木の方に向けましょう。
(3)
目を閉じ、顔や胸の中に気持ちを向けて、自分の中がゆっくりゆるんでいくのを体感しましょう。
(4)
体の中がゆるんでくると、顔や胸の皮膚の感覚が薄れていき、バリア感覚が無くなる体感が出て来ます。
自分と木の間のバリアが無くなり、木と自分との一体感が出て来ます。
(5)
バリア感覚が薄れ、体の前側の空気感覚が心地よく感じられたら、そこから採気に入ります。
(6)
両手で前の空気を大きくすくい集めるように、両手を胸の前に挙げて、掌を胸板に向け、胸板から胸の中に息を吸い入れるようにして両手を胸板に近づけましょう。
(7)
両手の掌を下に向け、胸の中にすい入れた息を下腹の中に吐き降ろすようにして両手を下腹の前まで降ろしましょう。
(8)
この(6)と(7)の動きと呼吸を何度も繰り返し、下腹の中が温かくなってきたら、両手を下腹に向け、しばらく下腹の中の温かさを体感してから終わりましょう。
近くの公園や神社の中で、一本で良いですから、仲良しの木を持っておくと、心身に乱れが出て来た時に、木に癒されてもらえるようになりますからね。
次回は、太陽のパワーを採り入れる技をお伝えします。
【無相という言葉】
突然ですが、採気のヒントになる話を一つ。
般若心経という経典(お経)の一節に「諸法空相(しょほうくうそう)」という経文が出て来ます。
この言葉が、採気の時の大事なヒントになるのです。
「法」というのは「存在」という意味だそうで、「諸法」は、諸々の存在、即ち、この世に存在するあらゆるもの、のことです。
「空相」というのは、サンスクリット語を訳すと「空にして無相」となるそうで、「空、無相」が本当のようです。
(孫悟空でお馴染みの三蔵法師、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)がどういう意図で「空相」と漢字に翻訳したかは定かではありません。)
ですから、「諸法」は「空」であり「無相」ということで、「空」と「無相」とは同義語になるのです。
そして、問題の「無相」の話です。
【心のバリアを無しにする】
「相」という字を見て下さい。
木へんに目と書かれています。
これは、「目で木を見る」という意味です。
「目」は、自分という存在を代表している言葉で、「自分という存在が木を見ている」となります。
こちらに自分がいて、向こうに木があり、その木を見ているということになり、即ち、それは、自分と木は別々の存在だということを意味しているのです。
相は、相互、相思相愛、相手、相打ち、相対立するなどというように、別々の二つの存在を前提にした言葉なのです。
ところが、般若心経においては、「諸々の存在は無相である」と説いています。
気功と般若心経とは直接的な関係はありませんが、気功を学び深める上で、特に、採気野技を理解する上では大きなヒントになっています。
般若心経は、木と自分とは「無相である」、即ち、「別々の存在ではない」と教えています。
別々の存在であるものが「別々の存在ではない」というのですから、難しい話です。
木と自分とが別々の存在だということは、木と自分との間に、二つを隔てる何か、即ち、バリアが存在しているということになります。
「無相」なのですから、二つの間にあるバリアを取り除かねばなりません。
こうなると、現実的というか物理的というか、普通の常識では考えられません。
そこで、気という概念や気功をしている人の体感を持ち出さねばなりませんが、この、バリアを取り除くというのが、自分と外のものとの関係においての気功流癒しの本質になるのです。
物質的にはともかく、少なくとも心だけは、木と自分との間にバリアを張らないということが大事な条件になるのです。
(※9月3日の記事「気功流の癒しを体感してみましょう」を参考にして下さい。
【樹木のパワーを採り入れる】
(1)
公園や神社の境内などで、これは!という木を見つけたら、とにかく、その前に立ちましょう。
(2)
両手を体の横で、軽く斜め下に開き、掌を木の方に向けましょう。
(3)
目を閉じ、顔や胸の中に気持ちを向けて、自分の中がゆっくりゆるんでいくのを体感しましょう。
(4)
体の中がゆるんでくると、顔や胸の皮膚の感覚が薄れていき、バリア感覚が無くなる体感が出て来ます。
自分と木の間のバリアが無くなり、木と自分との一体感が出て来ます。
(5)
バリア感覚が薄れ、体の前側の空気感覚が心地よく感じられたら、そこから採気に入ります。
(6)
両手で前の空気を大きくすくい集めるように、両手を胸の前に挙げて、掌を胸板に向け、胸板から胸の中に息を吸い入れるようにして両手を胸板に近づけましょう。
(7)
両手の掌を下に向け、胸の中にすい入れた息を下腹の中に吐き降ろすようにして両手を下腹の前まで降ろしましょう。
(8)
この(6)と(7)の動きと呼吸を何度も繰り返し、下腹の中が温かくなってきたら、両手を下腹に向け、しばらく下腹の中の温かさを体感してから終わりましょう。
近くの公園や神社の中で、一本で良いですから、仲良しの木を持っておくと、心身に乱れが出て来た時に、木に癒されてもらえるようになりますからね。
次回は、太陽のパワーを採り入れる技をお伝えします。